
香港は、南側から香港島、九龍半島 (カールンサイド)、新界 (ニュー・テリトリー) と 3つの地区からなっていました。その他、小さな 234の島々。
(現在は、新空港が西側の島々の地区にあり、4つの地区からなっています)
1974年 当時は、九龍に埠頭のような滑走路 1本だけの啓徳 (カイタク) 国際空港があり、香港島との間は海底トンネル (道路) と緑色の船のスター・フェリーでつながれていました。
九龍は混沌とした高層住宅建築が乱立しており、ジェット旅客機の空港への着陸は住宅ビルすれすれで下降するルートもありました。
(2021 東京五輪 (2020) で危険な東京都心上空を通る北ルートができ夕刻などラッシュ時にはジェット旅客機が列をなしており追突するのではないかと危惧しており、いつも古い香港を思い出します。時代に逆行する東京、日本政府は回帰趣味か ? 怪奇 ?)

1974年3月下旬、東京の雪
この時の出張は 1974年3月28日 羽田空港発だったと思います。東京 3.27-3.28 珍しく遅い降雪で出張当日の都心の積雪 5cm がちょっと心配でした。

当初、香港島の顧客 (英国人)のみとの打合せ訪問予定でしたが、香港滞在中、新たな商談受注との連絡を受け、急遽 滞在期間を延長して九龍 (香港人・中国人)に出向くことになりました。営業担当者より先に顧客と面談することになりました。
九龍南端・繁華街のチムシャツイ Tsim Sha Tsui の有名なペニンスラー・ホテル Peninsula Hotel のロビーで時間調整していた時、見知らぬ人から「誰々さんですか」と声掛けられました。(高級ホテルに宿泊しているように見えたのかも、-- !?) このホテルはかの有名な高級車ロールス・ロイス 2台を所有しており、身近で初めて見ました。
(高級車と言えば、香港とは関係ありませんがクウェートのヒルトン・ホテル Hilton Hotel in Kuwait で格好よさで有名な白いランボルギーニ・カウンタック Lamborghini Countach を観ました。(air cargo 空輸扱いでした) 音速ジェット旅客機ならばコンコルド (BA) というところでしょうか。中東バーレン空港で駐機中の小さな機体を何度か見ましたが、.. )
ということで、一度の出張で香港の二面性 (別々の公社の在香港・英国人と香港人・中国人) に接することができました。

新界 New Territory の観光は、東京から商社の課長さんが香港を訪れた機会に商社駐在員から同行のお誘いを受けたものでした。その時、城壁の村・カムティンをリクエストしました。
1974年は、日本国内では米香港合作アクション映画「燃えよドラゴン Enter the Dragon」(主演 ブルース・リー) の 1973.12 日本封切 (当方 シンガポール初海外出張中) で中国武道カンフー、ヌンチャクのブームが起きました。日本武道とは違い、初めて見るあのリズムカルなスピード感が新鮮で衝撃を受けました。
勿論、香港に来たからには本場のカンフー映画を観ようと商社駐在員に日本国内事情を話したずねたら、一緒に観に行きましょうとの即答でした。
二人のりのりでセントラルの映画館に観に行った記憶があります。紛れもなく本場・香港カンフー映画です。字幕 subtitle は、北京語・マンダリンと英語の二か国語、音声は広東語・カントニーズでした。
この頃は、国際的で民主的な香港で将来 民主化運動デモの嵐が吹き荒れるとは夢でも想いませんでした。
(ご参考)



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1955 洋画「慕情」 / 1973 米香港合作映画「燃えよドラゴン」
1955年アカデミー賞2部門受賞 (音楽賞・主題歌賞・衣装デザイン賞) "
Love is a many splendored thing"
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